初めまして。執筆者のなおきです。
僕は誰よりも英語が喋れず、誰よりもばかにされ、誰よりも笑われてきました。
巷で見る英語熟練者や、英語が喋れるようになったよ!なんて人は経歴を見ると有名大学出身だったり、ネイティブスピーカーだったり、海外が好きで洋楽を好んで聞いたり文化に興味があったり、外人が好きだったり、元から英語の基礎知識を身につけていた人ばかり。
自分はといえば、高校では一切勉強せず、大学も推薦で入学し、中学以降一切勉強をしてこなかったツケで文字通り一切英語がわからない状態でした。
そんな状態でワーホリに行き、たくさんの苦労を重ねてやっと英語喋れるようになったからこそ喋れない人の気持ちが人一倍わかります。
このブログはそんな英語が本当に喋れなかった自分だからこその目線での英語学習のアドバイスとワーホリオーストラリア情報を中心に発信して行きます。
英語が喋れればどんなに広い世界を見れるのかを伝えれば良いなと思います。
自己紹介&経歴
このブログの執筆者の石川直樹と申します。
北海道札幌出身。現在25歳で高校卒業まではサッカー一筋、大学では今まで遊べなかった分はじけるようにすすきので飲み明かし、長期休みの度に旅に出ていました。チャリで北海道各地を回ったり、原付で日本縦断したり、真冬の-10℃の中ヒッチハイクをして旅に出たりしているうちに気付けば次は世界一周!!という気持ちに。
英語を話せた方が絶対楽しい!という理由だけで留学を決意。
人生で触れた英語文化は洋画だけ、知っている洋楽はエアロスミスのI dont wanna miss a thingだけという純日本人の僕はオーストラリアが英語圏であることも知らず、エージェントへ無料相談しに行き、ワーホリというものを初めて知りました。
これなら自分の力だけでいける!と思いその日のうちにオーストラリアにワーホリを決定し寝る間も惜しみ四ヶ月で100万円貯金し、大学3年が終わったタイミングで就活を始めている周りの友達を尻目にオーストラリアに渡航。
これが初めての海外。この時22歳。当時の英語力は、大学の英語の授業で常に助けてもらってた人がTOEICで280点しか取れてなかったのにその人をこいつ英語得意なのかって思ってたレベル。高校生3年の頃には推薦のために英検3級を取ろうと決意するが、テキストの質問すら理解できずに受験すら挫折していた。
how`s it going の挨拶すらも知らず、マクドナルドでは何言ってるかもわからないからyes,yesを言い続けて勝手にセットやLサイズのドリンクにされ、ぼったくられる日々を送りながらもたくさんの苦労を重ねて2年目からは生活が楽しくなって行き、徐々に英語でのコミュニケーションをできるようになっていった。
帰国&就職活動
帰国後大学4年生として復学し、待ち受けていた就職活動。しかし、心はすでにオーストラリア永住に決まっており、新卒枠を捨て、コックとしてオーストラリア永住を目指すことを決意。
単位をすべて取り終えていたので学校には行かなくてよかったので、4年生の秋からヒルトンニセコホテルで見習いシェフとして採用してもらい、ここでお金が貯まるまで働こうと決め寮に住み込みで働いた。
ここで働けば英語を使う機会もあるだろうし、外資ホテルなのでオーストラリア行くときに紹介状を書いてもらえる!などと妄想を膨らませていたが、現実は色々厳しく、そんな上手くはいかない。辛いながらも頑張り冬のハイシーズンがくると人も増え、山の上のカフェに配属になったんで毎日スノボーも滑れて楽しい毎日を過ごし、、、過ごしすぎて、寮でのパーティやプライベートでの素行が問題となり、4月の契約更新をしてもらえず実質クビというか契約満期というかそんな感じでニセコを引き上げた。
もちろん紹介状など書いてもらえるわけもなくまだ貯金も足りず、時給の低い札幌ではフリーターで稼ぐのはきついとなり、次は色々縁があり宮崎のシェラトンホテル内のキッチンで働くことになった。
サーフィンのメッカとも呼ばれる宮崎。日本一周中に二段階右折で捕まってから嫌いになっていた宮崎。
仕事が大変でもこの土地を楽しまなくてはと、到着して二日目に車を購入、一週間でサーフボードを購入。友人からはお前貯金しにそっち行ったんじゃねえのと言われながらも仕事の時間以外は全てサーフィンに明け暮れる日々。
途中でオーストラリアの法律が変わり渡航先、時期が変わる問題が発生しながらも、朝5時に起きて仕事前にサーフィン。仕事が終わって7時半までサーフィン。
なんて日々を送りながら、鳥刺し、チキン南蛮、地鶏を堪能。まじで鳥がうまい。鳥刺しに当たって水を一口飲んだらくだすという5日間をおくってやっと固形物が食えるという状況になって最初に食べたのが鳥刺しってくらいうまい。
七ヶ月間働き、貯金もでき、車も買値より5万も高く売れたから惜しみながらも宮崎を離れる。本当に素敵な土地だった。もし日本に住むならきっと宮崎に住むと思う。
そして2018/2/6現在、それでも僕はオーストラリアに永住したい!!
調理師としてオーストラリア永住を目指し、現在西オーストラリアのマーガレットリバーにてTAFEにこれから2年間通います。英語力も現地の学校に通い、オーストラリア人やアメリカ人、イギリス人たちと一緒に授業を受けれるレベルまで成長しています。
2017年に永住権につながるビジネスビザの法律が変更し、年々永住権を取ることは厳しくなって行ってほぼ取ることができないと言われていても!
親のお金で大学を卒業させてもらいながらも就活もせず新卒枠も捨てても!
職歴もなく、オーストラリアの学費も1年分しか払っておらず残りの一年分約140万ほど通学しながら貯金しなくては退学してしまうという状況でも!
それでも僕はオーストラリアに永住したい!!
誰よりも自由に、誰よりも笑って、誰よりも好き勝手に生きていたい!!
そんな自分ですがよろしくお願いします。
したっけ!